8月17日 みどり丸沈没

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2018年08月17日 12:05

1963年8月17日 昭和38年
 

ヘリコプターの救助を待つ遭難者
http://showa.mainichi.jp/news/1963/08/post-55e8.html

 1963年8月17日午後0時5分頃、お盆休みの帰省客などを乗せて那覇市泊港から久米島に向けて出航した定期貨客船「みどり丸」が、泊港外の北西方10キロにある環礁(俗称チービシ)の神山島付近で沈没しました。228人の乗船者中、死者86人、行方不明者26人の犠牲者が出て、沖縄海難史上最大の事故となりました。

 遭難現場は三角波の荒い難所で、さらに当時の海上は宮古近海を北上した熱帯低気圧の影響で波が高くなっていました。みどり丸は大事をとってチービシ東側に航路を変えましたが、横波を受けた船体が傾いて浸水、救命ボートを用意する間もなく、10分後に沈没しました。SOSの発信もできなかったため、那覇に事故の第一報が入ったのは沈没の5時間後で、犠牲者を増やす結果となりました。 
 琉球政府は、遭難者に「災害救助法」を適用し、大田政作行政主席を本部長とする救助本部を厚生局に設置しました。米軍の航空機、ヘリ、タグボートが捜索にあたり、遭難者の救助と遺体の収容が行われました。 

引用:沖縄県公文書館
http://www.archives.pref.okinawa.jp/news/that_day/4601

事故から33年後
1996年8月 平成8年
久米島銭田公園に慰霊の碑が建てられた




碑の裏手。

碑が建てられたのは、遭難した海を遠くに望む場所です






































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